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ヴァルド派研究会

Associazione Giapponese di Studi Valdesi / Association Japonaise d'Études Vaudoises

ヴァルド派とは

 ヴァルド派(伊:I Valdesi、仏:Les Vaudois、独:Die Waldenser、英:The Waldenses、羅:Valdenses, Waldenses)とは、12世紀末のリヨンで誕生した、キリスト教の平信徒による説教集団であり、改革派教会の一派です。



1.ヴァルド派の教理

 一言で「ヴァルド派の教理」といっても、時代によって様々な形態があるヴァルド派の場合、どの時代の、どの分派の教理を指すのかによって、その内容は変わってきます。

 本研究会では、近代以降の「ヴァルド派福音教会」 Église Évangélique Vaudoise / Chiesa Evangelica Valdese における教理を紹介しておきたいと思います。1532年9月12日、ヴァルド派はスイスの改革派教会の教理を受け入れ、プロテスタントの一派として活動するようになります。現在のヴァルド派には、聖書を最重要視する姿勢、聖礼典に洗礼と聖餐の2つを採用するなど、多くのプロテスタントと類似した特徴を見ることができます。特に改革派とは教理を共有していることから、宗教的な意味でヴァルド派と改革派との間に差異は殆どないといっても過言ではありません。ただ、改革派の信仰告白(ウェストミンスター信仰告白)とは別に、ヴァルド派としての信仰告白も存在することから、ヴァルド派の教理を知るには彼ら固有の信仰告白を見るのが最も適切な方法かと思われます。


 以下のリンクから、ヴァルド派の信仰告白(イタリア語、フランス語)を見ることができます。

Confessione di fede del 1655 (CF/1655)


 ヴァルド派信仰告白(1655年)の日本語訳を作りました、以下のリンクからダウンロードできます。

pdf ヴァルド派信仰告白(CFV1655, CFV1662) (0.61MB)




2.LUX LUCET IN TENEBRIS

 ヴァルド派が掲げるシンボル « LUX LUCET IN TENEBRIS » は、ラテン語で「ルクス・ルーケット・イン・テネーブリス」と発音し、「光は闇の中で輝く」というヨハネ福音書・第1章5節の一文に由来します。





 聖書の上に、1本の燭台、7つの星……このデザインは、ヴァルド派がヨハネ黙示録(第1章16節)に示されている7つの星のごとき、「福音の光」をもたらす燭台のような存在であることを象徴しています。このシンボルが初めて用いられたのは、1640年にヴァルド派牧師の一人ヴァレリオ・グロッソ Valerio Grosso が著した『聖なる光』 Lucerna Sacra の表紙です。当時は IN TENEBRIS LVX と記されていましたが、1669年にヴァルド派福音教会議長のジャン・レジェ Jean Léger が著した『福音教会の概説史』 Histoire generale des Eglises Evangeliques 以降は LUX LUCET IN TENEBRIS と記されるようになりました。


【『聖なる光』の表紙(左)と『福音教会の概説史』の表紙(右)】

  



3.1848年2月17日

 1848年2月17日は、ヴァルド派にとって忘れられない年です。サヴォイア家の政策により、それまでピエモンテの谷奥深くに隔離されていたヴァルド派が、この日を境に谷の外に公に進出することを認められ、信仰の自由とイタリアにおける市民権を獲得したのです。以来、毎年2月17日になるとヴァルド派のコミュニティでは、この出来事の記念として信仰の自由を保持できることを喜ぶ礼拝が実施されます。そして、前日の2月16日には、ヴァルド派の谷の各教区で自由獲得の喜びを示す大きな篝火 Falò が焚かれることが通例になっています。松明を持った信者の方々が篝火を中心に円陣を組み、神に祈りを捧げたあと、ヴァルド派のテーマソングとも言える讃美歌・第353番「シバウドの誓い」 Inno 353 - Il Giuro di SIbaud を斉唱します。この光景を見ていると「ヴァルド派」という集団の宗教的意識は、こうした祭典を通して定期的に表面化され、今でも強く保持されているのだということを実感できます。

ちなみに、讃美歌・第353番「シバウドの誓い」は、以下のサイトで聞くことができます。歌詞はヴァルド派の性格をよく表しており、とても綺麗な曲なので、よろしければ一度 INNO 353 を聞いてみて下さい。


INNO 353 - Il Giuro di Sibaud (シバウドの誓い)

Le mani alzate al ciel.
Questo è il suol dove i padri
Han giurato al Signor di serbar fedeltà.
Di rendere gli altar ai grandi santuari,
Dove per la sua causa Ei vennero a morir.

Signor del Sinai. Signore d'Israel.
Iddio dei santi. Iddio dei padri.
Come Giacobbe un dì, or ci hai salvi, Signor,
Con te sui campi degli avi nostri.
Non ci lasciar giammai abbandonar la fè.
E lotta insiem con noi, che combattiam per Te.

Per questo giuro, il ciel salvi fè i nostri padri;
Ed in quest'ora ei vuol noi ancor benedir.
Le mani giunte insiem, Valdesi, ripetiamo:
Giuro per Te, Signor, di vivere e morir.


【ヴァルド派の篝火 Falò (左)と持ちよった松明を並べる信者たち(右)】

DSCN7604.JPG DSCN7610.JPG



4.ヴァルド派は異端なの?

 研究書や論文を読んでいると、「ヴァルド派は異端である」とか、「異端ヴァルド派」といった表現をよく見かけます。でも、ちょっと待って下さい。果たしてヴァルド派は、本当に「異端」なのでしょうか? ヴァルド派がどのような集団として定義できるのかというと、その答えは彼らが生きた時代やその社会的背景、視点などによって大きく異なってきます。ここでは、視点を3つ――ヴァルド派、カトリック教会、その他の宗派(プロテスタント)――に絞り、それぞれの立場から見たヴァルド派像を紹介していきたいと思います。


◆ヴァルド派から見たヴァルド派

 現代に生きるヴァルド派の生き字引的存在で、歴史研究の第一人者であるジョルジオ・トゥルン Giorgio Tournは、著書の中でヴァルド派を「今日のイタリアに生きる宗教的少数派」 Una minoranza religiosa che oggi vive in ItaliaGiorgio Tourn : I Valdesi – Identità e storia di una minoranza, Claudiana, Torino, 1993, p.3と暫定的に定義しています。彼自身は元・ヴァルド派牧師なので、この意見を「ヴァルド派から見たヴァルド派の定義」と解釈することも可能ですが、しかしこれはあくまで現代におけるヴァルド派の外面的な一要素を捉えたものでしかありません。そのため、実際に「ヴァルド派とは、どのような存在か」を考える際には、ヴァルド派信者たちの具体的な言説から、時代ごとに彼らが自らをどのような存在と考えてきているのかを踏まえておく必要があるといえます(→ 実はこれが私の博士論文における研究テーマです)

 ヴァルド派信者たちの言説は、ヴァルド派文書、カトリック教会文書、プロテスタント諸宗派文書など、様々な文書から読み取ることができます。それぞれの文書に見られるヴァルド派信徒たちの言説を時代ごとに整理し、分析、考察した結果、ヴァルド派は自らを次のような存在であると考えてきていることがわかります。

- 中世(1173-1532年)……教皇シルウェステル1世から分離した純粋なキリスト教徒/キリストの教えに忠実な使徒の後継者
- 近代(1532-1848年)……聖パウロによって直接教化されたピエモンテ谷の住民
- 現代(1848年以降)……ピエモンテの谷で「ヴァルド派」としての歴史を有する人々

 中世よりヴァルド派の指導者層は、「独自の起源伝承」によって、ヴァルド派信者間にヴァルド派としての共通認識を提供していたと思われます。「独自の起源伝承」とは、史実に基づく起源とは別にヴァルド派の架空の起源を説く伝承で、上に記したように時代ごとに様々なパターンが存在しています。ヴァルド派信者は、この起源伝承を語り継ぐことでヴァルド派としての意識を共有し、カトリック教会をはじめとする他集団との差異化を図りながら、中世以来、常にヴァルド派として存在しつづけてきたといえるでしょう。彼らの起源伝承は、19世紀半ばを境に語られなくなりました。しかし、その後のヴァルド派信者は、起源伝承の代わりに自分たちが活動の拠点としてきた「ヴァルド派の谷」における歴史的記憶を、博物館や記念碑などによって顕在化することで他集団との差異化を図り、常にヴァルド派としての意識を保持していると思われます。


◆カトリック教会から見たヴァルド派

 「異端」とは、「正統」という存在があってこそ成り立つものであり、二極化した対立構造の中に位置づけられる相関的概念だといえます。つまり、カトリック教会を「正統」とすると、それにそぐわないものは構造的に須らく「異端」となってしまうのです。

 1215年の第3回ラテラノ公会議において、ヴァルド派は「異端者」としてカトリック教会から破門されてしまいました。しかし、この会議以前に行われたヴァルドの信仰告白を見ると、彼の思想は至ってカトリック的であり、信心深いキリスト教徒であったことがわかります。さらに言えば、ヴァルド派が異端とされた理由を、彼らがカトリック教会の命令に従わず、当時のカトリック教会の宗教的堕落ぶりを批判するような説教を行っていたという点に求めるのは、多くの研究者の間で一致するところです。ゆえにヴァルド派は、キリスト教に対する信仰が篤いあまりに堕落したカトリック教会を内部から浄化していこうと声を上げ、その結果「出る杭」として打たれてしまったと考えられます。

 しかし、カトリック教会側からすれば、ヴァルド派はあくまで「異端の一派」です。これは揺るがない事実で、中世期には実に多くのヴァルド派反駁書が作られますし、1215年の公会議における決定は未だに撤回されてはいません。そのため、私たちがヴァルド派を「異端」だと認識するとき、それは少なからずカトリック教会の見解に同意/採用した考え方になっているということに注意しなければなりません。かくいう私自身も、かつてはヴァルド派に関する文献を読んで「異端ヴァルド派」という表現に幾度となく出会ううちに、いつのまにかヴァルド派のことを「異端者」なのだと思い込んでいました。しかし、初めてヴァルド派の谷を訪れて、そこにいた信者さんと実際に会話する中で、「私たちヴァルド派は異端者ではありません」という意見を直接述べられたことがあります。当然ながら、ヴァルド派信者の方々は決して自らを異端とは考えていないわけで(これは「異端」と呼ばれる全ての集団に共通すると思われます)、今も昔もそれは変わらないのです。したがって、より客観的な立場からヴァルド派の位置づけを試みるなら、「ヴァルド派は、カトリック教会によって、異端と見なされた集団」という事実を述べるにとどめておく必要があるといえるでしょう。「ヴァルド派は異端である」とか、「異端ヴァルド派」といった表現に出会ったときには、それを述べた本人がどのような立場、認識から、この表現を用いているのか、慎重に判断するようにして下さいね。


◆その他の宗派(プロテスタント)から見たヴァルド派

 現代のプロテスタントから見たヴァルド派に関しては今まさに研究中で、あまり詳しいことを述べることができません。そのため、近代プロテスタントの視点から見たヴァルド派を紹介する留めておきたいと思います。16世紀の宗教改革期に登場してきた「プロテスタント」と呼ばれる集団は、当時カトリック教会との論争の中で、歴史の浅さからその存在を軽視される傾向にありました。そんなプロテスタントのうち、ヴァルド派が与していた改革派教会においては、ヴァルド派の歴史を自らの歴史として適用し、宗教改革が始まるより何百年も前からプロテスタントとしての活動の萌芽があったことを主張しています(Cf. 拙著「独自の起源伝承にみる宗教改革期のヴァルド派の集団意識について」, 『関西フランス語フランス文学』日本フランス語フランス文学会関西支部, 18号, pp.3-13, 2011年)。たとえば、フランスの宗教改革者ジャン・カルヴァン Jean Calvin の弟子であるテオドール・ド・ベーズ Thédore de Bèze が記した宗教改革運動の関連人物事典『高名な人々の真実の肖像』Les vrais povrtraits des hommes illvstres(1581年)には、次のような主張が見られます。

 Les Vaudois ont esté ainsi appellez, à cause de leur demeurance es vallees & destroit des Alpes, où ils se sont retirez des long temps : & peut-on dire que ce sont les restes de la pure primitiue Eglise Chrestiẽne, veu qu’il appert que par vnetresadmirable prouidence de Dieu ces gens se sont si bien maintenus parmi tãt de tempestes, qui par l’espace de plusieurs cẽtaines d’ãnees ont esbrãslé le monde au milieu des pratiques de l’Euesque de Rome qui a miserablement assuietti l’Occident, & nonobstant les horribles persecutions esmeuës cõtre eux, qu’il n’a este possible de les ranger sous le ioug de l’idolatrie & tyrannie de l’Antechrist. Aucuns d’entre eux ont esté appelez Pauures de Lyon, quelques vns ayans estimé qu’ils ayent eu pour chef vn marchand Lyonnois nommé Iean, & surnommé Valdo, en quoy ils s’abusent. (p.185)

[和訳] ヴァルド派は、彼らが古くから隠遁した谷の住処やアルプスの隘路のために、このように呼ばれた。そして、反キリスト(カトリック教会)の偶像崇拝や圧政の支配下に彼らを置くことを可とした恐ろしい迫害が引き起こされたにも拘らず、西欧を支配したローマ教皇による信仰の実践のうちに、何百年という期間を通して世界を揺り動かした数多くの災難においても、非常に立派な神の摂理によって、これらの人々がかくも立派に変節しなかったことは明白なため、彼らは純粋な原始キリスト教会の生き残りと言えるのではないだろうか。彼ら(ヴァルド派)のうち誰一人としてリヨンの貧者とは呼ばれず、彼らがジャンまたの名をヴァルドというリヨンの一商人を長としたと考える幾人かの人たちは、思い違いをしているのである。 


 この文章からは、ヴァルド派の起源が「何百年」も前にあるということが読みとれますが、それは1173年頃のヴァルドに遡る数百年ではなく使徒の時代にまで遡る1000年以上の年数を意味しており、ヴァルド派は古代から存在している集団として認識されていたと考えられます。なぜこのように認識されるようになったかというと、それには2つの根拠が挙げられます。1つはベーズ自身がヴァルド派を「原始キリスト教会の生き残り」だと考えていること、そしてもう1つはヴァルド派の名称の由来がヴァルドにあることを否定し、「彼らが古くから隠遁した谷の住処やアルプスの隘路」に求めていることです。1つめの根拠における原始キリスト教会とは、使徒たちが福音の伝道活動を始めた頃から、新約聖書が成立した紀元150年頃までの初期カトリシズム成立以前の教会のことを指します。したがって、ヴァルド派がその生き残りであるということは、少なくとも2世紀以前にはすでにヴァルド派が存在していたことを含意します。そして、もう1つの根拠であるヴァルド派の名称の由来を「谷の住処やアルプスの狭い場所」に求めるということは、ヴァルドがいた12世紀ではなく、それ以前に起源が遡ることを示唆すると解釈できるでしょう。このように改革派は、ヴァルド派の歴史を自己の歴史として受け入れ、護教論のように利用していた可能性が考えられます。


 以上、3つの視点から見たヴァルド派をご紹介しました。このように、ある視点によってはヴァルド派は「異端」ですし、また別の視点によってはヴァルド派は「異端」ではないため、正解となる絶対的な答えは存在しないのです。大切なのは、どの立場や視点からヴァルド派を見るのかということ。つまりは、視点の数だけヴァルド派像が存在するのです。本サイトを訪れ、これをお読みいただいた後、あなたにとってヴァルド派はどのような集団として映るでしょうか。どのようなイメージであれ、そこに現れるヴァルド派像もまた、彼ら自身を映す一つの側面だと言えるでしょう。



5.「ヴァルド派」という呼称

 「ヴァルド派」は、イタリア語で「イ・ヴァルデージ」 I Valdesi、フランス語で「レ・ヴォドワ」 Les Vaudois、ドイツ語で「ディー・ヴァルデンザー」 Die Waldenser、英語で「ザ・ワルデンシーズ」 The Waldenses、ラテン語で「ウア(ワ)ルデンセス」 Valdenses, Waldenses と表記されます。しかし日本語文献では、これまでにヴァルド派のほか、ヴァルドー派、ワルド派、ワルドー派、ヴァルデス派、ワルデンス派、ワルデス一派、ヴォードワ派、ワルドオの徒、ワルデンセス、など、様々な呼称が用いられてきました。ただ、近年の傾向としては、ヴァルド派、ワルド派、の2つが頻繁に用いられているようです。

 本研究会では、「ヴァルド派」を正式な呼称として採用しています。その理由としては、日本語で比較的広く認知されている名称であること、創設者の名に由来すること、ヴァルド派史書に記載される創設者の名がヴァルド Valdo であること、などが挙げられます。

 ヴァルド派の創設者の名前は、1179年頃に書かれたとされる『ヴァルド信仰告白』 Ego valdesius 内で、「ウァルデシウス」 valdesius というラテン語名が確認できます。その後、彼は14世紀に書かれたとされる『選民の書』において「ペトルス・ワルディス」 Petrus Waldis という名で登場し、17世紀以降に編纂されていくヴァルド派の史書においては「ピエール・ヴァルド」 Pierre Valdo と記されるようになります。日本語文献では、ピーター・ワルドー Peter Waldo、ピエール・ワルドー Pierre Waldo、ペトルス・ヴァルドー Petrus Valdo、ピエール・ヴァルデス Pierre Valdès、といった様々な呼称が散見されますが、近代以降のヴァルド派文献の記述を遵守するなら、ヴァルド派の創設者の名前としては「ピエール・ヴァルド」 Pierre Valdo が最も一般的であると思われます。


【『ヴァルド信仰告白』の冒頭部分(Mss.1114. マドリッド国立図書館蔵)】

   



In nomine patris et fi-
lii et spiritus sancti atque bea-
tissime semperque virginis 
marie, pateat omnibus fi-
delibus quod ego valde-
sius et omnes fratres mei, prepo-
sitis nobis sacrosanctis evangeliis,
corde credimus, fide intel-
ligimus, ore confitemur
et simplicibus verbis...

【日本語訳】
父と、子と、聖霊と、最も聖にして永遠なる処女マリアの名において、すべての信者に次のことは知っていただきたい、我、ウァルデシウスと我が兄弟たちが、聖なる福音書が我々に示されたように、以下のことを心において信じ、信仰によって理解し、自らの口で告白し、簡潔な言葉で確言するのを。
   



※ 本ページで使用している画像は、管理人自身が撮影・入手した写真およびヴァルド派文化センターからご提供いただいたものを使用しております(それ以外の画像は引用元を付記しています)



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