ヴァルド派写真館
「カーザ・ヴァルデーゼ」はヴァルド派福音教会の本部であり、会議や研究会などは当建物の一階にある Aula Sinodale で行われることが多い。
ヴァルド派文化センター Centro Culturale Valdese(1989年創設)。ヴァルド派の複合研究施設であり、図書館、古文書館、写真保管所、史跡案内所、歴史博物館、民俗博物館、ヴァルド派研究協会 Società di Studi Valdesi 本部、書籍販売所などが一つの建物内に収まっている。研究者のみならず、ヴァルド派に関心のある観光客の出入りも珍しくない。
ヴァルド派史において特に重要な記憶を今に伝える「シャンフォランの記念碑」。シャンフォラン Chanforan とは、オック語もといピエモンテ方言の campo (野原)と foraneo (広場)の組み合わせを由来とする、中世ヴァルド派の会議場だった地所である。1532年9月12日、ヴァルド派信者たちはこの地に集まり、6日間にわたる会議を行った末、スイスの改革派教会と合同する形で宗教改革運動への参加を決議した。それを記念し、改革運動参加から400年後の1932年に、地元の若手ヴァルド派信者たちの呼びかけで当モニュメントが設置された。
ペッリーチェ谷の西端に位置する集落ボッビオ・ペッリーチェ Bobbio Pellice にある「シバウドの記念碑」。1686年、当時のフランス国王ルイ14世とサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世がヴァルド派の掃討を決定したことで、同年4月に「谷」のヴァルド派コミュニティはフランス・サヴォイア連合軍によって壊滅させられた。捕虜となった信者たちはスイスに亡命したのだが、3年後の1689年8月、彼らは故郷である「谷」に戻るためにアルプスの山々を徒歩で踏破し、一行が「谷」で最初に辿りついた場所が、ここシバウド Sibaud の地である。記念碑は、この帰還から200年後の1889年に建造された。
ギエイザ・ドゥラ・ターナGuieiza d’la Tana はピエモンテ方言で「洞窟の教会」を意味し、中世期に異端審問官の眼を逃れて「谷」にやってきたヴァルド派信者たちが、当洞窟を教会に見立てて、秘密裏の礼拝を行っていたらしい。入口は非常に狭いが、中はかなり広く、上部から微かに明かりが差し込むほかは完全な闇が広がる空間である。イタリア語では Chiesa della Grotta、フランス語では Église de la Grotte と表記される。イタリア語やフランス語にも、la tana(伊)や la tanière(仏)といったピエモンテ方言の la tana に似た語は存在するが、それぞれ「野獣の巣穴」を意味するため、あえて「洞窟」を意味する la grotta や la grotte が用いられている。