ヴァルド派写真館
イングランドの退役軍人チャールズ・ベックヴィス Charles Beckwith (1789-1862) の献金によって建てられた小さな学校跡。ベックヴィスは、その半生をヴァルド派支援に捧げた人物で、特に子どもたちの教育と学校建設に心血を注いだ。彼が「谷」に建設した学校は150校を超え、1865年時点でのピエモンテ他地域の識字率は50%程度だったが、「谷」における識字率は80%以上を記録している。
プラーリの高地にある、様々な宗教・宗派の信者が集まり、寝食を共にする場所。
アングローニャ谷の最深部、標高1,024mの地点に位置する集落プラ・デル・トルノ Pra del Torno にある寄宿学校跡。14世紀に建てられたとされるこの学校では,かつてリヨンの貧者の説教師「バルバ」Barba たちが寝食を共にしながら、聖書研究を行っていたらしい。バルバ barba とはピエモンテ方言で「小父」を意味する。これはカトリック教会で教皇および聖職者を「父」papa と呼ぶのに対し、リヨンの貧者では「父は神のみ」(マタイ福音書第23章9節)という意識があることから、あえて「父」を避けて「小父」にしたのだという。ちなみに、フランス語の collège は「中等学校」、イタリア語の collegio は「寄宿学校」と、それぞれ表記は似ていても意味は異なり、ピエモンテ方言の coulège は後者の意味になる。
ペッリーチェ川の南にある集落ロラ Rorà には、17世紀のヴァルド派の英雄ジョジュエ・ジャナヴェル Josué Janavel の生家が残っている。ジャナヴェルは、1655年4月、ピアネッツァ侯爵率いるサヴォイアの軍隊がヴァルド派殲滅を目的に「谷」を急襲した時、自ら武器を手にゲリラ部隊を組織して、敢然と軍に立ち向かった。ロラは彼の出身地で、近隣の集落が次々と蹂躙されていく中で当地をレジスタンス活動の拠点に定め、「谷」が完全に陥落する最後の時まで軍に抵抗を続けた。